2011年08月01日
石巻市ボランティアに行ってきた。
こんにちは こいっちです。
先週、一週間はあっというまでした。
先週、GO!GO!CAMPのBINGOさんからのお声かけで
石巻市にボランティアに行ってきました。
まだ記憶に新しいときに、
さっとお伝えしたいので
オチなしでだらだらかもしれませんが
レポートをさせていただきます。
ーーー
6月24日夜
A&F前にて集合する。
アウトドアショップ店員さん2人とBINGOさんと共に
ボランティアセンターに向かった。
石巻に入るとまだ道路が整備されていない場所が
あるので、でこぼこが直におしりに伝わる。
到着は夜中の3時。そのまま車中泊をした。
朝方、携帯の警報がなる。大きく車が揺れた。
(が、わたしは眠りこけていていまいち覚えていない。)
この後も何度か余震が続いていた。
わたしが今回お世話になったのは、
「石巻ボランティア支援ベース絆」
http://ivsbkizuna.web.fc2.com/

石巻にある区民館のような場所を借りて活動しているらしい。
中には、キッチンスペースやトイレ、寝室、ミーティング場所等があった。
朝7時からミーティングがあり、前日の活動や今日の活動予定などを話す。
情報の共有はとても大事なことなので、綿密に話しをしていた。
来た人、帰る人のあいさつもあった。
帰る人は、「次、何日に来ます」とかなり長期の人もいるようだった。
(実際、長期の人が多い。)
ーー
1日目と二日目は、漁業支援として牡蠣の養殖のお手伝いをさせてもらった。
ベースからその港まで1時間ほど車を走らせる。
そこに見えるのは、石巻市のすばらしい自然と
現状だった。

車は丘を上がっていくので、窓からは海が見える。

人の気配がない場所が多かった。

流れた廃材はいたるところに山になっていた。
ここからどこに行くのだろう。

瓦礫もまだ名残はあるにしろ
ほとんどきれいに片付けられている。
車の窓から流れる景色は、まだその日起きたことを実感を湧かさせない。
ただ本当に石巻の海がきれいで目を奪われて仕方がなかった。

本当にきれいで、なんとなく懐かしい。

センターに着いた。
(よく見ると屋根がひん曲がっている)
ここでの行われているのは、牡蠣の養殖の基礎部分作り。
牡蠣の幼体がついたホタテの殻をロープにつけて
それを海に垂らすという作業だ。
それを3年後に収穫?する。
全て流れてしまったので、貝殻は別のところから購入したらしい。
漁師さんは
「そんなんで牡蠣つかねぇのはわかってるんだ」みたいなことを
ぼそっと口にした。
だけど、何かをしなきゃ進まない。

船にも乗らせてもらった。
直射日光がものすごかった。

仲良くなった。たかさん。
作業が楽しくて
何度も同じ船に乗ったので、
(そして翌日も乗った)
最初は、質問ばかりだったけど、
(下ネタと合コン話しが多かった。どうやら合コンがしたいらしい。)
ふっとした時に震災の話しをした。
家が流されてしまった人と、船が流されてしまった人
お二人の会話の中で
「家流されるのと、船流されるのどっちがいいんかなぁ。」
「船流されちゃったら仕事できないでしょ。」
(ちなみにこの時乗っていたのは、ワカメをとる船だった。)
わたしは、「うんうん」とうなづくしかできなかった。
特に何を言うべきでもないのだし。
言葉で足りない分必死に手を動かした気がする。今に思えば。
途中の休憩で漁師さんとお話するのがとても楽しかった。
あーでもない。こーでもない。
みんなニコニコしててとても居心地がよかった。
ーー
人が少ない為、作業は4時くらいまでかかった。
漁師さんたちは朝3時からやっていた。
ベースに帰るとき、ちょっと遠回りして
いろんな場所を見て来た。

(画像が粗くてすいません)
高台から見た港。
穏やかな海だった。

住宅街だった場所。
瓦礫もなくなっていた。
車で走っても走っても何もないその場所を見て
急に心が不安になって怖くなった。
行きだってほぼ同じ物を見て来たのに
写真でもテレビでも見てたのに、
違うんだ。
漁師さんや現地の人と話しをしたせいなのか、
全然違う。
すぐそこにある景色が急に変わって
心が落ちそうだった。
そんなことを思ってたら、
何もないところに
ぽつんと一つの大きな看板。

ふっと漁師さんたちの顔を思い出す。
なんだかとても強さを感じて
逆に励まされてしまった。
三日目に続きます。
↓

先週、一週間はあっというまでした。
先週、GO!GO!CAMPのBINGOさんからのお声かけで
石巻市にボランティアに行ってきました。
まだ記憶に新しいときに、
さっとお伝えしたいので
オチなしでだらだらかもしれませんが
レポートをさせていただきます。
ーーー
6月24日夜
A&F前にて集合する。
アウトドアショップ店員さん2人とBINGOさんと共に
ボランティアセンターに向かった。
石巻に入るとまだ道路が整備されていない場所が
あるので、でこぼこが直におしりに伝わる。
到着は夜中の3時。そのまま車中泊をした。
朝方、携帯の警報がなる。大きく車が揺れた。
(が、わたしは眠りこけていていまいち覚えていない。)
この後も何度か余震が続いていた。
わたしが今回お世話になったのは、
「石巻ボランティア支援ベース絆」
http://ivsbkizuna.web.fc2.com/
石巻にある区民館のような場所を借りて活動しているらしい。
中には、キッチンスペースやトイレ、寝室、ミーティング場所等があった。
朝7時からミーティングがあり、前日の活動や今日の活動予定などを話す。
情報の共有はとても大事なことなので、綿密に話しをしていた。
来た人、帰る人のあいさつもあった。
帰る人は、「次、何日に来ます」とかなり長期の人もいるようだった。
(実際、長期の人が多い。)
ーー
1日目と二日目は、漁業支援として牡蠣の養殖のお手伝いをさせてもらった。
ベースからその港まで1時間ほど車を走らせる。
そこに見えるのは、石巻市のすばらしい自然と
現状だった。
車は丘を上がっていくので、窓からは海が見える。
人の気配がない場所が多かった。
流れた廃材はいたるところに山になっていた。
ここからどこに行くのだろう。
瓦礫もまだ名残はあるにしろ
ほとんどきれいに片付けられている。
車の窓から流れる景色は、まだその日起きたことを実感を湧かさせない。
ただ本当に石巻の海がきれいで目を奪われて仕方がなかった。
本当にきれいで、なんとなく懐かしい。
センターに着いた。
(よく見ると屋根がひん曲がっている)
ここでの行われているのは、牡蠣の養殖の基礎部分作り。
牡蠣の幼体がついたホタテの殻をロープにつけて
それを海に垂らすという作業だ。
それを3年後に収穫?する。
全て流れてしまったので、貝殻は別のところから購入したらしい。
漁師さんは
「そんなんで牡蠣つかねぇのはわかってるんだ」みたいなことを
ぼそっと口にした。
だけど、何かをしなきゃ進まない。
船にも乗らせてもらった。
直射日光がものすごかった。
仲良くなった。たかさん。
作業が楽しくて
何度も同じ船に乗ったので、
(そして翌日も乗った)
最初は、質問ばかりだったけど、
(下ネタと合コン話しが多かった。どうやら合コンがしたいらしい。)
ふっとした時に震災の話しをした。
家が流されてしまった人と、船が流されてしまった人
お二人の会話の中で
「家流されるのと、船流されるのどっちがいいんかなぁ。」
「船流されちゃったら仕事できないでしょ。」
(ちなみにこの時乗っていたのは、ワカメをとる船だった。)
わたしは、「うんうん」とうなづくしかできなかった。
特に何を言うべきでもないのだし。
言葉で足りない分必死に手を動かした気がする。今に思えば。
途中の休憩で漁師さんとお話するのがとても楽しかった。
あーでもない。こーでもない。
みんなニコニコしててとても居心地がよかった。
ーー
人が少ない為、作業は4時くらいまでかかった。
漁師さんたちは朝3時からやっていた。
ベースに帰るとき、ちょっと遠回りして
いろんな場所を見て来た。
(画像が粗くてすいません)
高台から見た港。
穏やかな海だった。
住宅街だった場所。
瓦礫もなくなっていた。
車で走っても走っても何もないその場所を見て
急に心が不安になって怖くなった。
行きだってほぼ同じ物を見て来たのに
写真でもテレビでも見てたのに、
違うんだ。
漁師さんや現地の人と話しをしたせいなのか、
全然違う。
すぐそこにある景色が急に変わって
心が落ちそうだった。
そんなことを思ってたら、
何もないところに
ぽつんと一つの大きな看板。
ふっと漁師さんたちの顔を思い出す。
なんだかとても強さを感じて
逆に励まされてしまった。
三日目に続きます。
↓
